さばきにあうやつ

何だこれは

あなたは聖書看板を知っているだろうか。ロードサイドに突如として現れる黒塗りの看板。白色と黄色の文字で書かれた意味深なメッセージ。たいてい締めに書かれている「聖書」や「イエス・キリスト」というワードから、あぁこれは聖書から引用された言葉なのだと気付くことができる。

どこの誰が何のために設置したかは問題ではない。その活動に首を突っ込むつもりもない。ただ全国のあちこちで神出鬼没に出現する聖書看板の存在に少しずつ惹かれてゆく私がいた。気付けばアーカイヴした写真が300枚を超えた。これだけの写真を外付けHDDの肥やしにしておくだけというのは勿体ない。そんなことを考えて、試しにWebサイト上でまとめてみることにした。

なぜ撮るのか

街の景色は、そこに住む人たちの暮らしの体現だ。人の数だけ人生があるように、街の数だけ違う景色がある。にもかかわらず似たような景色が多いなと感じるのは何でだろう。イオン、セブンイレブン、電柱、道路標識、ガードレール、踏切、マルフク、新堀ギター、長田廣告、世界人類が平和でありますように、鳥居、コンクリートブロック塀、杉板の外壁、青トタン、そしてそこに貼られた聖書看板

どこへ行ってもあるものたち。異なる景色の中の共通点。「違うのに似てる」と感じる正体。そのひとつが聖書看板だ。人々の営みの景色にそっと溶け込む聖書看板。時には「死」とか「罪」といった強烈な言葉を用いて、静かに、しかし絶妙な視認性を以て異彩を放つ聖書看板。どういう経緯で設置されたか想像もつかないようなものが、何故か日本中のあらゆる景色の中で息衝いている。

そんな聖書看板がどんな街のどんな景色の中で、どんな壁に貼られてどんな姿で主張しているかをもっと見てみたいと思うようになった。要はそれだけのことだ。だから私は聖書看板を撮り溜めるのだ。